草木土のブログ

クリスチャンの視点から、LGBT問題や社会問題を取り上げます

【翻訳記事】なぜセルフID制が、合法的にあなたを女性にしてはならないのか

Why self-identification should not legally make you a woman

(なぜセルフID制が、合法的にあなたを女性にしてはならないのか)

 

執筆者ーKathleen Stock(キャスリーン・ストック)

   サセックス大学哲学教授

 

 思考実験をしてみましょう。

生物学的なカテゴリーで「女性」に属する人々が、属性的に不利益を被ることがない世界を想像してみて下さい。

”生物学的女性”であることは、”生物学的男性”であることと比較すると、いかなる悪い結果とも統計学的に相関していない、と想像してみて下さい。それは例えば、経済的地位・キャリアの向上・子どもの頃の性的虐待・メディアによる客体化(モノ化)・政治的代表権・等です。

女の子と男の子が発育上、全く同じように扱われていると想像してみて下さい。

また、”生物学的男性”と”生物学的女性”が等しい強さ・力を持つ世界ーー性的、またはその他の点において、”生物学的女性”に対する”生物学的男性”の暴力に有意なパターンがない世界を想像してみて下さい。

この想像上の世界で、単純に性自認により、確かに”生物学的男性”である人が”生物学的女性”と見做されても問題になるでしょうか? 間違いなく、問題はありません。

 

しかし、これは私たちの住む世界ではありません。

”生物学的女性”と”生物学的男性”の間に横たわる構造的不平等の範囲は広く認識されています。

ジェンダー認識法〉の改正における、激しい論争の渦中にある英国政府の協議の中心の、2つの質問について考える時、”生物学的女性”の抑圧について、これらの肉体上の事実は認められなければなりません。

一つは、医学的証明なしに”女性”として自己認識することは、法的に性別の再割り当てをする際に、充分な基準になり得るかどうかです。

二つ目は、自分は女性だというトランス女性に、女性専用スペースの使用を許可し、女性専用リソースにもアクセスできるようにするかどうかです。

ある人は、両方に「はい」と答えます。他の人たち(私のような)は、その肯定的な答えが「女性」というカテゴリーの元の占有者に、容認できない害をもたらすと主張します。

 

更衣室、(ユース)ホステル、刑務所などの女性専用スペースは、性自認ではなく、生物学的性別に従って管理する必要があるのは明らかです。

トランス女性は生物学的には男性です。

調査で、殆どが男性器を保持していることが明らかにされました。

そしてその多くは、”生物学的女性”に対して性的指向を持っています

少数のならず者の”生物学的男性”から”生物学的女性”を保護するという観点から、一般に私たちは同性のスペースを維持する正当な理由があると考えていますが、”生物学的男性”が女性であると自認する場合、これらは機能しなくなります。

私たちは、同性のスペースを維持するか、もしくは事実上男女混合のスペースにして”生物学的女性”に損害を与えるか、のどちらかを選択しなければなりません。

 

一方、”候補者リスト”や”賞”といった、女性のみのリソースへの適格性の基準として、セルフID制を認めることは、無節操な不正行為を助長するだけでなく、関連する役割の”生物学的女性”の数が少ないことに対抗するためにリソースが作られた(いまだ不充分だが)、当初の理由をバッサリ手放したと見做されます。

(このことは最近、生物学的男性で「ノン・バイナリー(※男性でも女性でもない)」のクレディ・スイスのフィリップ・バンスをフィナンシャルタイムズの、女性経営者トップ100のリストに加えたことで、さらにはっきりと示されました。)

 

 

よくある反論

 

そのような点に対する、5つのよくある反論を以下に提示します。

第一番目の反論はこうです。「しかし、トランス女性は女性です」

問題となっている保護と資源の目的が、”生物学的女性”に必要な援助をすることであると仮定すると、これでは何も解決しません。トランス女性は生物学的に女性ではありません。

 

次の反論は、「”生物学的女性”であること」なんてものは存在しない、というものです。

一つの方法として「性別は社会的な構成概念です」と表現しています。

これは信じがたいことです。

セックス(sex/生物学的・産まれ持った性別)は、しばしば「ジェンダー」と言われるように、社会的意味を持っていますが、しかしながら根底には生物学的現実があることも事実です。

この根底にある現実により、我々人類種の生殖活動が可能になります。

(ちなみに、ジェンダー(gender/文化的社会的性別)が、セックス(sex/生物学的・産まれ持った性別)の社会的意味であるならば、そもそも「自認」することもまた不可能です。私たちの上に、社会によって課せられているのが社会的意味付けだからです。)

もう一つの方法として、インターセックスDSD 性分化疾患の人々を引き合いに出して「性別はスペクトルだ」と表現することです。※日本では”性別はグラデーションだ”の方がよく使われる表現です)

実際、これは誤りです。体の状態が一部異なるだけの、男性か女性かのどちらかに属すインターセックスの人々の性はスペクトルではありません。

どちらにしても、これは関係のない話です。

”生物学的女性”が直面している不平等は、ある技術的意味で”生物学的女性”だからといって受け継ぐものではありません。なぜなら彼らは「民間科学」の意味で、社会的に”生物学的女性”としてカテゴライズされているからです。

これは「標準的な」”生物学的女性”と同じように、インターセックスにもまさに当て嵌まります。

抑圧的不平等が、この社会的分類と顕著に相関している以上、緩和策として、そのグループの保護とリソースを完全に維持する必要があります。

DSD性分化疾患インターセックス)の人々は、性的マイノリティではありません。したがってLGBTに関連付けるのはやめましょう。詳しくはこちら

 

次の反論は、事実「社会的に”生物学的女性”として分類されることと、明らかに相関関係にある不平等の存在」を否定するものです。

この見解では、黒人女性・レズビアンの女性・労働者階級の女性・障害者の女性…等を除いた、階級としての”生物学的女性”に明確に狙いを定めた抑圧は存在しない、としています。

これは重要な点の歪曲です。

つまり、”生物学的女性”であることに加え、さらに抑圧されたカテゴリーに属することの影響を加えると、著しい不平等に晒される確率が増加します。

しかし、これらの要因がなくても、不平等に苦しむ確率が高まらない、という意味ではありません。

また、”生物学的女性”に向けられた抑圧が様々な文化的表現を取り得るという事実は、そのような抑圧の共通点を損なうものでもありません。それは、まさに”生物学的女性”に向けられており、それを描写するための語彙が私たちには必要です。

 

4番目の反論ですが、トランス女性は”生物学的女性”より、もっと抑圧を受けていると主張しているものです。(要するに、多くの”生物学的女性”は「シス特権」を持つと言われており、言い換えれば彼女らはトランスではない)

例えば、トランス女性は男性更衣室や刑務所で暴力に直面しているため、例えそこにいる”生物学的女性”を不利な立場に置くとしても、女性専用施設に入ることを認めるべきである、という説です。また、職場でもトランス女性は差別を受けるので、女性だけの割り当てや選抜候補者リストに入れるべきであると。

しかし実際には、そのような比較を確実に裏付けるデータは不足しています。

根拠として、イギリスとアメリカの犯罪統計を挙げると、トランスピープルは普通の人と比べて殺人や暴力的な攻撃の危険に晒されておらず、実際にはリスクが低いと推測されます。

しかし、例え額面通りにリスクの比較がなされたとしても、特別にトランス女性の為に、専用のスペースやリソースに資金を提供することは可能です。

”生物学的女性”が、他の人々のために自らの権利を犠牲にする唯一のグループである道理はありません。-女性蔑視社会がいつものように”生物学的女性”に要求してきたことですがー

 

最後の反論は、抑圧的な社会的カテゴリーとしてのジェンダー(gender/文化的社会的性別)を解体すべきだと言い表すことです。そして、女性であることの基準としてセルフID制を認めることが、ジェンダー解体の一つの方法であると・・・

私は、その見立てには同意しますが、その解決法の提案については賛成できません。

私たちは、まず第一に、”生物学的女性”に起因する抑圧を改善する必要があるのです。

そうしなければ、我々が構築しつつある「すばらしい新世界」のようなものに、単に移行するだけとなるでしょう。

すばらしい新世界オルダス・ハクスリーディストピア小説ジョージ・オーウェルの「1984年」と同様、ディストピア小説の傑作として知られる)

 

 

※正確性を期すため、文中の「female」は”生物学的女性”とし、「woman」は女性としました。

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※はブログ管理人による注釈です。